徳川光圀の「圀」という字は、なぜこんな字?
 
テレビ時代劇でおなじみの、水戸黄門の本名は「徳川光圀」といいます。
「圀」は「くに」と読み、「国」の異体字です。
といっても、「国」という字は戦後に常用漢字として正式に採用された字体で、基本字は「國」と書きます。
「國」は書き順が多く、少々めんどくさいということと、クニは皇帝が統べるものということで、「口+王」「囯」という略字が作られました。この字体は漢代隷書から見られる字体です。
しかし、戦後、漢字を廃止しようという流れの中で、当面使われる漢字として当用漢字が制定され、それまで略字として使われていた字体を正式な字体とし、この「囯」も候補に挙がりましたが、日本に王はいないということで、「丶」を加えて、今の「国」という字が一般的になりました。また、「國」の草書体を楷書化したものという見方もあります。
「国」という字体は、戦前の大正8年の「漢字整理案」に許容字体として既に示されています。すでにこの頃には一般的な字体であったのでしょう。
 
では基本字である「國」はどういう成り立ちなのでしょうか?
まず、中身の「或」「口」「戈(ほこ)から成り、「口」は都の城郭を表し、これを「戈(ほこ:武器)で守ることを表す字で、もともとこの部分だけでクニを表していました。(ちなみに残ったは境界を表します。)
それに外郭を表す「口」で囲み「國」という字ができました。
 
話を戻して、「圀」という字体はどこからやってきたのでしょうか??
この字は「武則天」(624~705)という中国周の第一代女帝が思想や権力誇示のために作った文字「則天文字」の一つなのです。
武則天は「國」という字の「或」「惑」を想起させたり地域を限定的に指し示すとして嫌い、クニは八方に広がるものだということで、中身を「八方」にした「圀」という字を作り出したのです。
則天文字は奇妙なものが多く、武則天の(いみな)(本名)が「照」でしたが、「空」の上に「明」と書いた「曌」という字を作って使用しました。
なかでもおもしろいのは「星」「○」、「月」をという円を用いた字体で、もはや漢字ではないですね。
則天文字は20字ほどありますが、奇抜すぎて残るものはなく、なぜか日本において「圀」だけが「徳川光圀」などで使われています。

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